「何でも動いてみないとわからん」繊維商社からクリエイティブへ…挑戦の連続が生んだ“異色のキャリア”
株式会社to anyoneの代表取締役、桑原進之助氏。繊維商社での経験を経てクリエイティブの世界へ飛び込み、現在はプロデューサーとして活躍しています。そんな桑原氏が考える「働き方」とはどのようなものなのでしょうか。桑原氏の仕事観や価値観に迫りました。
会社にいるだけだと世界は広がらない
もし、今学生だったらどんな働き方を選びますか。
この問いに対し、桑原氏は「会社に属しながらも、個人でも興味あることに挑戦する」と語ります。
「会社に入るだけだと世界は広がらないなと思っていて。その代わり安定は手に入ります。ただ、安定するだけではやっぱり広がらない」と桑原氏。
あえて「不安定を作ることで将来の自分の役に立つものを別で履き出していくような働き方」を今の自分なら選びたいと話してくれました。
何でも試してみるもんやなと思って
桑原氏のキャリアは、まさに「興味あるものに何でも触れてみる」ことの連続でした。
20代で最も熱中したことを尋ねると、大学・社会人と続けたアメリカンフットボールから離れた後、服作りを始めた経験を挙げてくれました。

最初のキャリアは繊維商社。ナイロン生地などを扱う中で、「自分で服を作ってみよう」と思い立ったことが、クリエイティブの世界に足を踏み入れるきっかけになったと振り返ります。
「服を作る上でクリエイティブが必要になって、そのタイミングで興味が至って、今に至るみたいなことになっているんで、何でも動いてみないとわからんなっていうのは思いますね」
この「やってみてよかった」という経験は、現在のプロデューサー業にも活きています。会社に属しながら個人で「日本文化を現代に蘇らせる」というテーマのプロジェクトを立ち上げたことも、今の独立に繋がったと振り返ります。
仕事が「楽しい」と思えた瞬間は、プロデューサーとして初めて企画から手がけたミュージックビデオがきっかけでした。クライアントに企画を認めてもらい、予算をいただき、自由に表現できる場を与えてもらった。そして、完成した作品が70万回再生されたとき、大きな喜びを感じたそうです。

英語を学べる環境に、ありがたいと思え
新入社員時代の自分にアドバイスするなら、何を伝えますか。
この質問に、桑原氏は「英語をもっと学べ」と答えます。
繊維商社時代、1年目から英語に触れる仕事を担当。英語がほぼわからない状態から、海外のクライアントと英語でメールをする日々は「めちゃめちゃ苦痛だった」と明かします。
しかし、その時の苦労が、世界中の人々と仕事をする上での敷居を低くしてくれたとのこと。
「そのときに辞書を開いていてよかったなと思うし、英語を学べる環境にありがたいと思えと伝えたいですね」。
地道に辞書で調べながらメールのやり取りを重ね、さらには外国人と繋がるコミュニティや飲食店に足を運ぶなど、自ら機会を増やしていったそうです。
留学を乗り越えた人って強いなと思う
最後に、どんな若者と一緒に働きたいか尋ねました。
桑原氏は「留学経験がある人はいいですね。人としてリスペクトする」と即答。自身が学生時代にやらなかったことで後悔しているのが留学だそうです。
「留学行った人の話を聞いていると、もちろん最初喋れない状態で、そこから話せるようになるまでのプロセスがめちゃめちゃしんどいっていう話をいろんな人から聞いて。それを乗り越えてきた人って強いなって思うんで、話を聞きたいし、一緒に働きたいなって思います」
現在、会社を経営し、プロジェクトごとにチームを編成して動いている桑原氏。今期の目標は、日本文化の要素を取り入れたクリエイティブを多く生み出し、日本文化を昇華していくことで、日本をアゲること。
「できるって言ってからやり方を見つける」という力強い言葉で、今後の展望を語ってくれました。

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Future Leaders Hub編集部