「共同創業なんて絶対うまくいかない」と言われ続けたが若手経営者が、資本金10万円から“売上高180億円企業”を作るまで
「共同創業なんて絶対うまくいかない」
そう言われ続けても、事業と向き合い、困難を乗り越えてきた若手経営者がいる。
株式会社TWOSTONE&Sons 代表取締役CEOの河端保志氏は、共同代表である代表取締役COOの高原克弥氏と出会って以来、「世の中に存在する“不合理な常識”を覆す」 という想いを胸に事業を展開してきた。
創業当初は資本金10万円からスタートした会社が、今では売上高180億円を誇る上場企業へと成長。今回は河端氏に、起業の背景や会社が急成長したターニングポイント、上場へと舵を切った舞台裏について話を聞いた。
憧れの経営者に直談判した経験が起業の「きっかけ」に

── そもそも起業のきっかけは何だったんですか?
私は10代後半から能動的に行動していて、経営者や上場企業の社長などとも知り合う機会が多くありました。そのなかで、当時はインターンという制度もなかったのですが、尊敬する経営者に対して「修行させてほしい」と自ら志願して働いていたんです。一日15〜20時間くらいは経営者の側で働いていたと思います。
最初は圧倒されましたが、一緒に時間を過ごすうちに「ここは自分のほうがやれるかも」と思える部分も出てきて、「将来は起業に挑戦しよう」と思ったのがきっかけになっています。
ただ、すごく恵まれたコミュニティに身を置いていたからこそ、「自分が一番になりたい」という気持ちはすごくあって。正直なところ、負けず嫌いな性格が原動力になって、半ば勢いで起業した部分も大きかったですね。
共同創業者の高原とは、私がインターンをしていた企業に面接に来た際に知り合いました。彼は私と同じくエンジニア出身で、出会った当初から意気投合して、ビジネスの話をしていたのを覚えています。
互いの実力を認め、補い合う信頼関係から始まった

── 会社を共同創業するという考えは、最初から持っていたのでしょうか。
最初は高原が自分一人で起業を志す中で、営業やコンサルのような動きができるサポート役を探していて、「案件を取ってきてほしい」と頼まれたのがきっかけでした。そこで僕がすぐに案件を持ってきて、最初は二人でその案件を捌いていたのですが、一緒に働くうちに高原の優秀さを実感しましたし、彼も僕のことを高く評価してくれ、「このまま一緒に会社をやっていこう」と声をかけてもらったのが、共同創業した経緯になっています。
── 共同創業・経営は一般的にフェーズが進むにつれて、考え方や方向性のズレからうまくいかないケースもありますが、その辺りはどう乗り越えてきたのでしょうか?
本当に最初の頃は、「共同創業なんて絶対うまくいかない」と周囲から何度も言われました。そんななかで、共同創業や経営がうまく機能しているのは間違いなく高原の存在が大きいです。
私は人間的に欠点が多いタイプであると考えている一方で、高原はそれを理解したうえで、お互いの強みを尊重し合える関係を築いてくれています。私が苦手なことは彼がすべてカバーしてくれ、私が得意な分野は完全に任せてくれる。このような役割分担が自然にできているからこそ、うまく回っていると感じています。
エンジニアがもっと輝ける社会をつくる
── 普段はどのような事業を展開されている会社なのでしょうか?
当社は、ITエンジニアと企業をマッチングするプラットフォーム事業を中心に展開しています。2008年頃にスマートフォンが登場して以降、ITサービスの需要は爆発的に拡大しました。もともと私は10代の頃にアメリカのシリコンバレーにも滞在していたのですが、その頃から「物価差を考慮しても、日本のエンジニアの年収があまりに低い」と感じていました。そこで着目したのが、従来のような派遣型ではなく「フリーランス」という働き方でした。
今ではフリーランスのITエンジニアも増えていますが、当時は「収入が不安定で安定しない」というネガティブなイメージが先行していました。しかし、スマートフォンが普及して以来、ITエンジニアの需要は非常に高く、有効求人倍率は常に10倍以上になっています。
このことから、フリーランスのよさを最大限に生かし、「仕事が見つからない」というデメリットをカバーしながら、エンジニアとしてのキャリアを形成できるビジネスを展開しています。
── 「世の中に存在する“不合理な常識”を覆す」 という想いで2013年に起業されましたが、今現在も不合理な常識は多いと思いますか?
そうですね。私自身、かつてWindows 95のような古いパソコンでインターネットに触れていました。Eコマースが登場した当初、テレビでは「クレジットカード情報が盗まれる」とネガティブな意見ばかりが強調されていましたが、私はその便利さに強く惹かれ、まさに「合理的な非日常」を体験したのです。
それが今や当たり前となり、巨大なマーケットが生まれています。だからこそ、私たちは「今はまだ常識ではないものが、やがて常識になっていく」形にすることを、会社として取り組んでいきたいと考えています。
受託開発からの脱却が会社を成長させる転機に

── 会社を立ち上げた当初から順風満帆でしたか?
立ち上げ当初は受託開発がメインで、とにかくクライアントのシステムを作り、目の前の仕事をひたすらこなすという感じでした。会社も高原と共同出資した資本金10万円スタートで、“風が吹けば飛んでしまう”規模感でしたから、とにかく早く売上を立てないといけなかったんです。
こうしたなかで、しっかりと足元を固めるために、ベトナムにオフショア拠点を作るなど、本格的に受託事業を立ち上げました。極端な話、僕も高原も無給でも走れるテンションだったので、「人件費さえ抑えられれば何とかなる」という状況でしたね。
ただ、2年ほど経った頃に「自分たちは受託開発をずっと続けるために起業したわけじゃない」と気づいたんです。そこから受託開発の事業をストップし、事業転換を決意しました。そして、ITエンジニアのフリーランス支援サービスを立ち上げました。そこから、今のメイン事業となるITエンジニアのフリーランス支援サービスを立ち上げ、ようやく事業として大きく動き始めた感覚があります。
「受託で稼いだお金で自社サービスを作る」という机上の空論もあるなかで、今振り返ると、受託と自社サービスを同時にうまく回せるほど器用ではありませんでした。だからこそ、一つに集中して全力で取り組むことを選んだのが、結果として今の成長につながっていると考えています。
── 会社経営をするなかで、どんな困難や葛藤があったのでしょうか?
上場準備の期間は正直かなり大変でした。上場すると就業規則が厳格になり、例えば夜20時以降の残業は原則禁止といったルールの徹底が求められます。当時は私や高原をはじめ、非常に意欲の高いメンバーが集まっていたのですが、そういうやる気のあるメンバーに「上場準備のために帰宅して」と言わざるを得なかったのは、どこか歯痒さを感じていましたね。このように、前向きな熱量を抑えなければならないのは、経営側としてもすごく複雑でした。本当にその頃は、「上場するために本当にこれで良いのか」と自問することも多かったです。
不透明なマーケットでも踏み切った上場の決断
── 株式上場はいつ頃から現実味のある目標として掲げていたんですか?
事業転換した3期目、4期目あたりで数字の感覚が掴めてきて、「もしかしたら本当に上場できるかもしれない」と思えるようになっていきました。また、その頃は外部投資家から出資を受け入れる第三者割当も実施したのですが、外部株主がいるということは、当然その人たちにリターンを返す責任が生まれるということです。
投資家が利益を得る手段はM&Aによる株式売却(イグジット)かIPO(株式上場)しかありません。私は事業を売却して終わるよりも、この組織を自分の人生をかけて大きく育てていきたい気持ちが強かった。なので、M&AではなくIPOの道を選んだわけですね。
上場のタイミングもちょうどコロナ禍と重なって、当初の予定だった2020年5月から2020年7月にずれ込んでの実施となりました。マーケットの先行きも不透明だったなか、「まずは上場できるならやろう」という判断でしたが、振り返るとその決断が大きな転機になったと思います。
そこから年間30%以上の売上成長率を維持しながら事業を拡大し、上場時は売上高約30億円だったのが、今期は約240億円を目標に掲げながら成長させることができています。
<構成/古田島大介 撮影/星 亘>
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Future Leaders Hub 編集部