「圧倒的な基準値」が人生を変えた——北の達人社長が語る『北の国から』に惹かれ、北海道移住までの創業ストーリー
学生時代に圧倒的な“基準値”を学べたのが今にも活きている。北の達人社長・木下勝寿を突き動かした20代のライフストーリー
高校時代に観たドラマ『北の国から』に感銘を受け、起業とともに北海道へ移住。
大学時代には伝説の学生企業に所属し、「圧倒的な基準値の高さを肌で感じ取れたのが現在の礎となっている」と語るのが、化粧品・健康食品のD2C事業を手がける株式会社北の達人コーポレーション 代表取締役社長の木下勝寿氏だ。
この連載では各業界の最前線で活躍するトップランナーの「自分らしい働き方」や「キャリアの原点」を掘り下げていく。第1回目は、木下氏が過ごした学生時代のエピソードから、今に至るまでのライフストーリーを語ってもらった。
ドラマ『北の国から』に惹かれ、起業とともに北海道へ

── まずは、木下社長の学生時代について色々と教えてください。何かハマっていた趣味などはありますか?
木下:もともと高校生の頃から「事業を作りたい」という思いで勉強していたので、自分にとっては仕事自体が趣味のような感覚なんです。ただ、高校生の時は漠然と映画監督になりたいと考えていたこともあり、いろんな映像作品をよく見ていました。
その中で、ドラマ『北の国から』にものすごく感銘を受けて、将来は北海道に住みたいと思うようになったんですよ。そして、起業するタイミングで、「成功してからではなく、今から北海道に行こう」と決意し、北海道に移住したんです。
最初は北海道の特産品をネット販売する事業から始め、次第に化粧品や健康食品など扱う商材が広がり、現在は東京と札幌に拠点を構えることになりましたが、もとは『北の国から』がきっかけになっているんですね。
── 『北の国から』のどの部分が一番影響を受けたんですか?
木下:都会のごちゃごちゃした生活を経験しながら、最終的にどうやって人生を豊かにするかを考えたときに、北海道の素朴な暮らしがとても魅力的に感じられました。私は大阪に住んでいた頃から「将来は北海道でのんびり暮らしたい」と思っていましたが、今は東京・銀座に本社を構え、都内に住んでいます。そう考えると、社会的には一定の成功を収めましたが、人生全体で考えると自分にとってはちょっと失敗だったなと感じます(笑)。
自分の経験から言えるのは、本当に何がどう影響するかわからないので、若いうちから映画やドラマなどでさまざまな人生観に触れておくのはとても大事だということですね。
学生企業での環境が“基準値”を引き上げた
── 多感な時期にいろんなことを見聞きすると、思わぬ発見がありますね。ちなみに大学時代はどんな生活を送ってきたんですか?
木下:大学生の頃は、学生起業家が集まって会社を運営する「株式会社リョーマ」という組織の一員として働いていました。名前の由来は坂本龍馬から取ったもので、リョーマ出身で大成功している起業家も多いため、界隈では結構知られた存在になっていますね。
リョーマは「自分たちで事業を立ち上げたい」という学生が集まり、実際に起業しながら将来の独立に向けて学んでいく“実践型の起業塾”みたいな場でした。朝はスーツを着てリョーマのオフィスに出勤し、合間に大学の授業へ出て、授業が終わったらまた戻って仕事をする。
そんな生活を毎日送っていたのを覚えています。
── 大学でスーツを着ていたら、相当目立ちますよね?
木下:正直ちょっと周りからは浮いていました(笑)。ちょうどポケベルが世の中に出始めた頃だったので、授業中にポケベルが鳴ったりすることもあったんですが、それがなんだか少し嬉しく感じていたように思います。
── あのとき、リョーマの一員として働いていたからこそ、今の仕事に活きている部分はありますか?
木下:今はインターネットを通じて簡単に起業できるじゃないですか。でも当時はまだネットが存在しない時代でしたから、実際に自分の足で動かないと事業ができなかったので、気軽に起業できる時代ではなかったんです。
そういう意味で一番大きかったのは、「基準値」が一気に上がったことかもしれません。リョーマにいたメンバーは入れ替わりも含めて20人くらいだったと思うんですが、そのうちの半分近くが上場企業の経営者になっているんですよ。
そうなると、必然的に全体の基準値が自然と高くなるんですよね。この環境に身を置いていると、上場も特別なことではなく「やればできる」という雰囲気を感じられ、自分の中の基準もどんどん引き上げられた気がします。
ただ、正直なところ、当時の自分はまだ全然仕事ができるタイプではなくて。本当に優秀な先輩たちに圧倒されながら必死についていく日々でした。それでも、学生ながらに何億円ものビジネスを動かすような人たちと一緒に過ごせたのは刺激的で、すごい人たちを全力で追いかけるのが純粋に楽しかったですね。
あの頃の自分に伝えたい「ポンコツでも大丈夫」というメッセージ
── 当時の自分に何か言うとしたら、どんなアドバイスを投げかけますか?
木下:今振り返ると、もしあの頃の自分に声をかけるなら「今はまだポンコツでも、そのうち何とかなるから大丈夫」と言ってあげたいですね(笑)。

リョーマで働いていたときは、自分が主体的に動くというよりも、とにかく優秀な先輩たちの背中を追いかけるので精一杯でした。でも、自分で起業してみて、すべての責任を自分が負い、誰にも頼れない状況下でビジネスを考えるようになってからは、「大人の仕事をしている」という実感を持てた気がします。
── もしも今、学生だったらどの業界や業種に注目しますか?
木下:自分が学生だったら、基本的にWEBマーケティング一択ですね。今の時代、ほとんどがWEBで物事を判断する時代になっていますから。例えば直近の選挙でも、従来は投票先を決める情報源はテレビや街頭での情報が中心でしたが、今はSNSでの情報が大きく影響しています。
同じように、結婚相手を選ぶのもマッチングアプリ、お店選びや旅行の手配、仕事などもWEBで完結するようになっている。つまり、日常生活のあらゆる意思決定の基準が、すべてWEBに集約されつつあるわけです。
そうなると、学生のキャリアを考えるならWEB上の情報を扱うWEBマーケティングしかないと思っています。
── 会社を選ぶうえでも「WEBを重視しているか」は判断基準になりますか?
木下:そうですね。ある程度古い体制の会社だとWEBを使ってはいるものの、重視されていないケースがどうしてもあります。これは仕方のないことで、本業で成功している会社はそちらにリソースを割かなくてはならないので、WEBへの注力が後回しになりがちです。
それ自体は、経営としては合理的な判断ですが、就労者の長期的なキャリア形成の観点からすると成長機会が限られるかもしれません。WEBに注力できて、かつ社内で正当に評価される環境に身を置く方が、キャリア的には合理的だと思います。
<構成/古田島大介 撮影/岡戸雅樹>
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Future Leaders Hub編集部