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2025.12.26 16:50

借金4億5000円からの再建…元リクルート経営者が「プロ野球選手の夢」の先に見出した理念と情熱


大学時代の野球部で掲げたスローガンが、現在の経営理念の礎となる。リクルートで学んだ仕事の本質が、会社の行動指針へと昇華する。そして、プロ野球選手になる夢から見出した「人を喜ばせる」という想いは、今も変わらぬ仕事の軸として、その経営を支え続けています。

アサヒ・ドリーム・クリエイト株式会社代表取締役の橋本英雄氏。そのキャリアの根底には、学生時代から一貫して持ち続ける、熱く、そして純粋な哲学がありました。今回は、橋本氏のこれまでの歩みと、仕事に対する情熱の源泉に迫ります。


「エンジョイ・ベースボール」が僕のチーム論の原点

大阪に生まれ、大学まで野球一筋の道を歩んできた橋本氏。大学時代には準硬式野球部でキャプテンを務め、チームを牽引しました。そのときに掲げたのが「エンジョイ・ベースボール」というスローガンです。

「僕らの時代は本当に根性野球とか、先輩後輩関係がすごく厳しいとか、そういう時代でした。でも、やっぱり一人ひとりが目標に向かって楽しみながら、自然体でやることが大事だと思ったんです」

当時の常識とは一線を画すこのスローガン。それはやらされる練習ではなく、自らが楽しみながら目標を追求することの重要性を説くものでした。

そして、1年が経ち、後輩たちから「エンジョイ・ベースボール、最高に楽しかったです」という言葉をもらったとき、橋本氏はこの考え方が間違っていなかったと確信します。

「これが僕のチーム論の原点かなと感じた、結構大きい出来事でしたね。この経験が後の会社の経営理念にもつながっています」

人に喜んでもらうために仕事をする

大学3年生の冬、橋本氏は「何のために働くのか」という問いに深く向き合いました。幼い頃の夢は、プロ野球選手になること。自身も大の阪神ファンとして、満員の甲子園球場で自分の打席を待つファン、テレビの前で応援する何百万人もの人々を「喜ばせる」仕事に、計り知れない魅力を感じていました。

「プロ野球選手にはなれないとわかったとき、じゃあ、人に喜んでもらう仕事だったら何でもいい、そういうために仕事をしようと決めたんです」

この「人に喜んでもらう」という軸を胸に就職活動を開始。旅行会社など、人の笑顔に直接繋がる業界に目を向けました。当時、花形だった金融業界には「悲しませることが起こりうる仕事」として、一切興味が湧かなかったと語ります。

そんな中、リクルートとの出会いは偶然でした。

「関西大学の体育会メンバー向けに『2時間アンケートに答えたら5000円』というバイトの募集が来たんです」

破格の条件に惹かれて参加すると、2回、3回と声がかかります。そして3回目の後、担当者から「リクルートってどう?」と声をかけられました。当時のリクルートは事件の影響もあり、今とはまったく違うイメージ。しかし、オフィスを見学させてもらった時、その印象は一変します。

「みんながもう本当に、生き生きと働いている姿がすごくて。一気に興味を持ったんです」

その場で人事部長が現れ、「内定です」と告げられた橋本氏。6時間に及ぶアンケートで、自身の資質はすべて見抜かれていました。他企業も検討したものの、リクルートを超える会社は見つからず、入社を決意。その時の「生き生きとした」印象は、入社後も変わることはありませんでした。

自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ

リクルートで過ごした3年半は、橋本氏にとってまさに熱中の日々でした。配属されたのは、スクール情報誌『ケイコとマナブ』の営業。しかし、その仕事は単なる広告営業ではありませんでした。

「どうやったら生徒が集まるか、スクールの担当者の方と本当に奥深く考えて。ただ広告をもらうんじゃなくて、ほかのところを研究して、『こういうコースを作って、この値段で募集をしたら収益化すると思います』みたいな提案をするんです」

20代前半の若者の提案をクライアントが信じて実行に移してくれる。そして、実際に生徒が集まり、心から喜んでもらえる。その成功体験が仕事の面白さそのものでした。

「やめてから10年ぐらい経っても、当時僕が担当した料理教室の先生から年賀状をもらって、『橋本さんが作ってくれたコースが今でも生徒を集めています』と言われたりして。本当に面白くて、夢中になっていましたね」

この経験を通して、リクルートに語り継がれる「自ら機会を作り出し、機会によって自らを変えよ」という言葉の本質を体感します。

「ゼロから作るということが、めちゃめちゃ自分の成長につながる。まさにそれを体感しました」

「借金4億5000万」からのスタート

20代後半、橋本氏に転機が訪れます。父親が創業した会社が、バブル崩壊の煽りを受けて経営危機に陥ったのです。

「経理をやっていた母親から『帰ってきてくれ』と言われて。人を喜ばせるっていうのが僕の軸だから、まずは親を喜ばせるのが当然かなと思って、帰ることにしました」

しかし、入社後に知らされた現実は想像を絶するものでした。年商3億5千万円に対し、借金は4億5千万円。

「うわ、やめんかったらよかったと思いましたよ」

給料はリクルート時代の半分になり、休みもない。ただひたすら営業に奔走する日々が続きました。そして、2004年に36歳で代表取締役に就任。そのとき、会社の借金は5億円に膨らんでいました。

「代表が代わると、保証人にならなければいけない。5億円ですよ。それまでは父親が作った借金という気持ちがどこかにあったけど、何かあったら全部自分に責任が来る。その重みを感じたとき、初めて腹を括れたというか、覚悟が決まったんだと思います」

もう逃げ道はない。やるしかない。その覚悟が、その後の会社再建の原動力となったのです。

最後に、どんな若者と一緒に働きたいか、そして若者へのアドバイスを伺いました。

「基本は『明るく元気で素直』。これが一番です。それに加えて、好奇心が旺盛で、何かこう志が高い人と働きたいですね」

橋本氏の言う「志」とは、個人の夢ではなく、社会にとって善なることの実現を目指すことを指します。そして、これから社会に出る若者や新入社員に向けて、力強いメッセージを送ります。

「何事も経験です。無駄なことは何もない。とにかく「どんなことにも恐れずに精一杯チャレンジしなさい、と伝えたいですね」

それは、リクルート時代に学んだ「自ら機会を作り出す」ことの重要性を、誰よりも知っているからこその言葉です。

自身のキャリアを振り返り、「リクルートでマネジメントを経験しておきたかった」という唯一の後悔と、「働く目的を決めたことは、今でも変わらないくらい大きい」という確信を語ってくれた橋本氏。

その言葉の一つひとつに、幾多の困難を乗り越えてきた経営者としての重みと、野球少年のような純粋な情熱が宿っていました。これからも「人を喜ばせる」という変わらぬ軸を胸に橋本氏の挑戦は続きます。


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