「20代は死ぬ寸前まで自分を追い込んだ」元グラビア誌編集長が挫折の先に得た“日本の職場を変える覚悟”
「誰にも頼まれていない仕事に没頭する、イカれた時間。それを信じきらないと、何もならない」
そう語るのは、株式会社マーベリックの代表取締役、丸山徹郎氏です。
同氏は、日本の旧態依然とした職場環境に疑問を抱き、研修事業とJリーグクラブとの商品開発事業などを通じて、新たな働き方を提唱しています。
就職氷河期に社会に出て、仕事の進め方を十分に教われないまま挫折を経験。そこから這い上がることができたのは「マーケティング」との出会いでした。20代の頃にはトリプルワークで睡眠時間を削り、「死ぬ寸前まで自分を追い込んだ」という壮絶な経験も。そのすべてが、今の丸山氏を形づくっています。
日本の職場は仕事をちゃんと教えてくれない
丸山氏が株式会社マーベリックを立ち上げた根底には、「日本の職場環境を変えたい」という強い思いがあるそう。
「僕が社会に出たのは就職氷河期で、求人倍率もすごく悪かった。いざ会社に入っても、OJTや研修がしっかりしていない職場ばかりでした」
仕事の原理原則や思考のフレームワークを最初にインプットできれば、誰もがもっとパフォーマンスを上げられるはず。しかし、多くの職場ではそれがなされず、心が折れてしまう人も少なくありません。
「仕事のやり方を教えないなんて、無駄すぎる。それがすごくもったいなくて」
丸山氏は、営業力やマーケティング、チームビルディングといった、自身が20年近い社会人経験で導き出した「答え」を研修という形で提供することで、日本の生産性を向上させたいと考えています。さらに、研修やコンサルティングを手がけるだけでなく、自らも事業を創造。Jリーグの湘南ベルマーレやアルビレックス新潟と共に商品を企画開発し、ヒットさせてきました。
「研修で語っている内容を自社で実践すれば、ちゃんと事業も作れる。それを証明しながらやっているんです」
”スタメン”から外され、マーケティングに出会った
丸山氏のキャリアは、決して順風満帆ではありませんでした。前職の電通時代、膨大なタスク量に忙殺され、一度は挫折を経験したといいます。
「タスクが多すぎて、挫折しちゃったんですよ。『アイツ誰が採用したんだよ』と言われるくらいよくない状態になって。“スタメン”から外されてしまったんです」
しかし、この出来事が大きな転機となります。仕事が減ったことで生まれた1時間の余裕。その時間で、彼は「マーケティング」を学び始めました。きっかけは、隣の席の同僚のデスクに置かれていた一冊の本。それまで言葉すら知らなかったマーケティングの世界に、彼はのめり込んでいきます。
「1時間早く帰れるようになったり、土日も勉強したりして、500時間くらい学びました。それまでの自分の仕事内容と照らし合わせることで、過去の経験が体系的にまとまっていったんです。自分が得た知識や経験は、マーケティングでいうと、こういうことだったんだなと感じました」
マーケティングという武器を手に入れた丸山氏は、見事に第一線へ復帰。「丸山はシャープになったな」と周囲の評価も一変しました。最終的には、個人で年間約20億円もの売上を上げるプレイヤーへと駆け上がったのです。
「新卒の時、仕事ができてお金を稼いでいるけど、すごく怖い“魔人”みたいな人がたくさんいました。でも、そんな人になる必要はなかったんだって証明できたんです」
この経験が、現在の事業の根幹にある「答えを最初から渡せば、誰もがつらくならずに成長できる」という確信につながっています。
死ぬ寸前まで追い込んだから、生まれ変われた

20代の頃に最も熱中したことを尋ねると、丸山氏は「仕事ですね」と即答しました。その働き方は、常軌を逸していました。
「一時期、夢を追ってトリプルワークをしていたんです。番組の構成作家、グラビア誌の編集長、そしてライター。さすがに睡眠時間が足りなくて、誰も来ない会社の非常階段で昼休みに仮眠していました」
雑誌の編集長をベースに、書籍の執筆や番組制作をこなす日々。睡眠時間は3時間ほどで、残りは非常階段での仮眠で補う。そんな生活が5か月ほど続いたといいます。
「本を書いたことがないのに、『アウトサイダー』という格闘技の書籍の依頼が来たので、『書ける』と思って引き受けて。寝るのも仕事のうちでした。いかに体力を回復させるかを考えていましたね」
なぜ、そこまで自分を追い込むことができたのでしょうか。
「当時は作家になる夢があり、チャンスだと思っていたんです。そして、この死ぬぐらいハードな体験をしたことで、僕は生まれ変わることができた」
あまりに過酷な経験の果てに、彼は「人に感謝する」という感覚を初めて理解したといいます。
「それまでは、何をしても中途半端でした。努力の仕方も知らなかったし、人に対する態度とか感謝とか、いまいちわからなかった。でも、死ぬ寸前まで自分を追い込んだから生まれ変われて、人への接し方がすべて変わったんです。リスペクトを持って、あらゆる人に当たろうと」
読者の思考が手のひらに…「無敵だと思ってた」
仕事が「楽しい」と心から思えたのは、グラビア誌の編集長を務めていたとき。4万部だった発行部数を、2年半かけて一度も落とすことなく9万部まで伸ばした実績。その成功体験は、丸山氏に大きな自信を与えました。
「自分の裁量で、まだ無名のタレントさんを表紙に起用したり、前の編集長とはまったく違う方針を打ち出したりしました。それでも結果が出せたんです」
毎号が読者との真剣勝負。いい誌面を作れば、必ずセールスもついてくる。その手応えが、彼を夢中にさせました。
「読者の思考が、まるで手のひらにあるような感覚でした。こういうのが好きなんだろうなっていうのが肌感覚で分かる。この感覚があるうちは無敵だと思っていましたね。購入者がどこで喜んでくれるのか。時間や予算を乗り越えて『絶対に必要だ』と思わせる驚きや品質とは何か。ものづくりの本質はこのときに学びました」
また、10万人近い読者に対して、「買ってもらう」責任も痛感したといいます。
「人って、結局誰かについていきたい生き物だと思うんです。だからこそ、メディアは『ウチはこういうメディアですから、良ければついてきてください』という明確なオピニオンリーディング(先導)をしなければならない。その信頼を裏切らないコンテンツを提供し続けることが存在価値なんです。それは企業の活動や商品でも一緒だと思います」
伸びしろは「素直さ」に宿る

新入社員時代の自分にアドバイスするなら、「マーケティングを学べ」と伝えたいそうです。
「毎日1時間でもいい。1年半くらい勉強すれば、最小の労力で最大のアウトプットを生むための考え方が身につきます。それはあらゆる業種で役立つはずです」
そして、共に働きたい若者の条件として挙げたのは、たった一つのことでした。
「素直な人、ですね」
仕事の基礎として原理原則は教えることができる。その基礎の上に何を積み重ねられるかといえば、それはその人の個性であり、伸びしろです。
「素直であること。それが、その人しかできない個性的で魅力的な仕事につながっていくんだと思います」
日本の職場には、わからないことを「わからない」と言いづらい風潮があります。しかし、それは学びを深める上で大きな障害になると丸山氏は指摘します。
「仕事って、最初は誰でもパニックゾーンにいるんです。そこから学びが深くなることで、質問がたくさん出てくるラーニングゾーンに移る。この段階で質問できるかどうかが成長の分かれ道。分からない自分を飾らずに、素直に助けを求められる人が、結局は一番伸びるんです」
昭和や平成の働き方は、もう通用しない。一人ひとりが持つ可能性を最大限に引き出し、誰もが楽しく働けるチームを作る。丸山氏の挑戦は、まだ始まったばかりです。
あなたにおすすめの記事
「どうせもうアウトだからイチかバチか」大学中退、指の大怪我、恋人の裏切り…捨て鉢から始まった町工場社長の大逆転ストーリー
「起業は逃げに等しいかもしれない」大手IT企業から独立した経営者が明かした“自由を求めた本音”
司法試験断念から月収100万円も「ありがとうと言われない仕事は虚しい」…波乱万丈のキャリアを歩んだ“二刀流社長”の教え
「とにかく人に喜ばれる仕事につきたい」IT企業経営者が振り返る“天職を確信できた瞬間”
「将来的には社員全員を社長にしたい」教育一家の血を引く起業家が目指す“新時代の働き方”
借金4億5000円からの再建…元リクルート経営者が「プロ野球選手の夢」の先に見出した理念と情熱
挑戦が循環する社会へ…「部活スポンサープラットフォーム」を手掛ける経営者の情熱
「社員は仲間、本当は友達になりたい」24歳で創業した経営者が語る“覚悟と絆の経営哲学”
「何でも動いてみないとわからん」繊維商社からクリエイティブへ…挑戦の連続が生んだ“異色のキャリア”
Future Leaders Hub 編集部