「本当は政治家になりたかった」元ヤンが語る、人を傷つけた過去から人を救う現在へ。木村公治氏の仕事哲学
「もし、今自分が学生だったら政治家を目指していた。」そう語るのは、鍼灸院・接骨院を経営する株式会社中日メディカルサービスの代表取締役、木村公治氏です。多くの人を傷つけてきた過去があるからこそ、今度は自分が人を救う番だという強い信念。その原点から紡がれる独自の仕事哲学は、キャリアに悩む若者たちの心を強く揺さぶるのではないでしょうか。今回は、木村氏が仕事を通じて見出した喜びや、若者たちと共に描きたい未来について、その真意に迫りました。
もし今、学生に戻れるなら「妥協せずに」自分の道を選ぶ
―もし木村様が今の時代の学生だったら、どのような働き方を選びますか?
僕たちの若い頃は、年功序列やハラスメントが当たり前の時代でした。「24時間働けますか」というCMが流行ったように、とにかく働いて稼ぐことが是とされていたのです。
しかし、現代は違います。働き方を含め、あらゆることで多くの選択肢がある。もし僕が今の時代に20代だったら、すべてに抵抗することなく、そして妥協することなく、自身のチョイスで仕事を選んでいたでしょう。
今の若い世代は、自身の長所や短所、個性をすべてさらけ出し、それを受け止めてくれる社会に生きています。ジェネレーションギャップという言葉がありますが、むしろ古い世代が現代に追いつかなければいけない。生きづらさを感じることもあるかもしれませんが、ビジネスチャンスや可能性は無限に広がっている。僕だったら、自分の個性ややりたいことを何一つ妥協せずに選び、働いていたと思います。
「本当は政治家になりたかった」という意外な過去

―今の時代に学生だったら、やはり同じ鍼灸や接骨の道を選びますか?
いえ、昔から本当になりたかったのは政治家なんです。やんちゃをしていた時期に田中角栄さんの本に出会い、憧れを抱きました。今だったら間違いなく政治の道を目指し、社会や世界を変えるような、影響力のある人間になりたかったですね。
だからこそ、今の20代、30代の若者たちにも、経営やビジネスだけでなく、国を動かす政治の世界にもっと興味を持ち、どんどん飛び込んでいってほしいと願っています。
―社会人としての第一歩は、どのようなお仕事から始まったのでしょうか。
この業界で働き始めましたが、最初は資格がなかったので、整体院のような場所で技術を学びながら働いていました。学歴もなかったので、高校卒業と同等の資格を取得してから専門学校に入り直し、就業先の寮に入ったんです。
そこは東京都葛飾区にあった、六畳間をベニヤ板で仕切っただけの三畳一間の部屋でした。隣の音はすべて聞こえるような、決して良いとは言えない環境からのスタートでしたね。
技術の探求に明け暮れた20代。「自分の限界は自分が決める」
―20代の頃、最も熱中したことは何でしたか?
医療系の仕事なので、とにかく技術を探求することに夢中でした。誰よりも技術を向上させたい、誰よりも知識を得たいという思いが強く、むさぼるように様々なセミナーに参加しました。夜遅く、最終電車ぎりぎりまで包帯やテーピングを巻く練習に没頭していましたね。
施術はやはり楽しいです。経営者となった今は、患者さんだけでなく社会や従業員と向き合う必要がありますが、当時は純粋に技術と向き合えました。辛いと感じたことは一度もなく、365日仕事をしていました。
昔から「自分の限界は、自分が限界だと感じたときに決まる」と思っています。だから、限界を設けないために、興味を持ったことには時間も忘れてやり続ける。そういう性格なんです。
仕事が「楽しい」と思えた、忘れられない感謝の記憶

―仕事をしていて、初めて「楽しい」と感じた瞬間を覚えていますか?
はい、鮮明に覚えています。初めて骨折を治したおばあちゃんのことです。手首が大きく曲がってしまった患者さんでしたが、僕が骨を元の位置に戻し、固定しました。その後、僕が東京から名古屋に戻ってからも、その方は亡くなるまでずっと感謝の手紙を送り続けてくれたのです。
「先生に治してもらった感謝は忘れていません」と。季節ごとにお菓子などを添えて送ってくださる手紙に、心の底から感動しました。言葉だけではない、行動で示してくれた感謝に触れたとき、この仕事の喜びを実感しましたね。人の役に立つために、僕らの存在価値はあるのだと。
もちろん、骨を継いだ後、レントゲン写真で骨がバチッと綺麗にはまっているのを見た瞬間の「よっしゃ!」という達成感も格別です。しかし、それ以上に、心からの感謝をいただいた経験が、私の大きな支えとなっています。
「満足した時点で思考は止まる」若き自分へ送るアドバイス
―働き始めた頃のご自身に、今アドバイスを送るとしたら、どんな言葉をかけますか?
「仕事に満足するな」と伝えたいです。満足した時点で、より良くしようという思考は止まってしまう。自己満足に陥ってしまうと、そこからの成長はありません。満足感は他人からの評価で得るものであり、自分で感じてはならないのです。
プロは結果で生きています。骨を完璧に元に戻すことも、患者さんを最短最善で治すことも、すべてが結果です。一度うまくいったからといって満足せず、常に最高のパフォーマンスを継続するために、日々の鍛錬を怠ってはならない。思考を止めないこと、それがプロであり続けるための鉄則だと考えています。
「何のために働くのか」その原点を共有できるチームでありたい

―最後に、木村様が「一緒に働きたい」と思うのはどのような人物ですか?
「自分は誰のために役に立っているのか」「何のためにこの資格を取ったのか」という原点と、自身の思いやビジョンをきちんと持っている方です。
仕事に追われるうちに、何のために働いているのか分からなくなってしまう人もいます。しかし、その原点さえ見失わなければ、道に迷うことはありません。
僕自身にも、「多くの人を傷つけてきた分、今度は自分が人を救う番だ」という揺るぎない原点があります。患者さんの幸せと、「ありがとう」の言葉のためにこの会社を経営している。その思いは今も昔も変わりません。
若くても、中途採用であっても関係ありません。そうした志を持ち続けられる人と一緒に仕事がしたい。そして、個人プレーに走るのではなく、チームとしての「和」を何よりも大切にできる人。同じ方向を向いて進める仲間が集まれば、組織はもっと強くなれると信じています。ベクトルが同じ仲間たちと、最高のチームを作っていきたいですね。
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Future Leaders Hub 編集部