「目標を定め、戦略を作り、あとは執念」逆風を乗り越え続けたベテラン経営者の原点
「絶対に若い部下たちを不幸にしてはダメだ」。その強い執念がすべての始まりでした。
1973年、ドルショックが日本経済を揺るがす激動の時代。当時35歳だった百瀬武文氏は、4人の若い部下と共に会社を飛び出し、ワイエイシイホールディングス株式会社の前身となる会社を創業しました。
半導体業界の不況という逆風の中、なぜ彼は独立の道を選んだのか。そして、いかにして会社を50年以上にわたり成長させ続けてきたのか。その根底に流れる変わらぬ経営哲学と、次世代への熱いメッセージを伺います。
「半導体業界の不況」が創業のきっかけに
創業の物語は、今から54年前の1971年に遡ります。松下電器のカラーテレビの不買運動に端を発し、翌年にニクソンのドルショックが追い打ちをかけたことで、日本の半導体業界は深刻な不況に陥りました。
百瀬氏が当時、勤めていた国際電気もその影響を免れず、大規模なリストラが断行されます。
「半導体部門の売上が130億円から30億円くらいにまで減ってしまったのです。それでリストラがあり、私はグループ会社への2年間の出向を命じられました」
技術課長としてキャリアを積んでいた百瀬氏にとって、それは受け入れがたい辞令でした。環境の変化と将来への不安が「辞めよう」という気持ちに拍車をかけます。
しかし、それは一人だけの決断ではありませんでした。彼の部下であった20代の若者4人も、百瀬氏と運命を共にすることを決意します。「新婚の者も2人いました。この若い人たちを絶対に不幸にしちゃダメだ」という、強い執念を持って創業しました。
当時、ベンチャー企業の3年後の生存率はわずか3%。ほとんどが倒産するという厳しい現実を前に、百瀬氏は無策で飛び出したわけではありませんでした。
倒産する会社には「計画」も「理念」もない

成功確率3%という茨の道を歩むにあたり、百瀬氏は以下の3つを行いました。
1つ目は今も社内に飾っている「創業の理念」を作ったこと、2つ目は「第一次5か年計画」と称した事業計画を立てたこと。
「当時、付き合いのあった中小企業の社長は、みんな『今日飯が食えればいい』という人ばかり。これでは倒産してしまうと感じ、最初から5か年計画を作ったのです」
そして、3つ目が「全員経営」を掲げたことです。
「経営戦略はトップが決めるが、最終的にはみんなで話し合い、納得した上で一丸となって進んでいく。この精神は、若い頃に経験した労働組合での活動が原点になっています。組合運動の中で、みんなで頑張っていこうという気持ちが培われました。だから創業の時も、みんなで意見を言い合って、最後は決めてやっていこうと決めたのです」
この3つの柱を礎に、ワイエイシイホールディングスはスタートしました。
会社は社会のもの。だから、たくさん税金を払わなきゃいけない
創業から10年が経った頃、百瀬氏は「会社の目的とは何か」という問いに深く向き合います。そして、一つの結論に達しました。
「会社は我々のものではなく、社会のものだ」
この考えから、「より成長して社会に貢献しよう」という「成長の理念」が生まれます。その貢献の形として掲げたのが、「社員を豊かにすること」と「たくさん税金を払うこと」でした。社員の経済的・精神的な豊かさはもちろんのこと、なぜ「税金をたくさん払う」ことを重視したのでしょうか。
「会社が採用する社員は、国の税金を使って勉強してきた人たちです。会社が使う道路や橋も、地方公共団体が税金で補修している。そして、日本が安全なのは、警察や消防、自衛隊が守ってくれているから。彼らの活動もすべて税金で賄われています。だから、我々はたくさん税金を払わなければいけないのです」
たくさん税金を払うためには、たくさん利益を上げなければならない。この社会貢献への意識が、会社の成長への強いモチベーションに繋がっていったのです。
「簡単に諦めないこと」が原点

「絶対に会社を倒産させてはダメだ」という思いは、創業2年半にある出来事を目の当たりにしたことで、さらに強固なものとなります。
1575万円の不渡手形を掴まされ、倒産した会社を訪れた時のこと。社長は雲隠れし、社員同士が「お前のせいだ」と罵り合っている。その光景は、百瀬氏の目に深く焼き付きました。
「会社というのは倒産しちゃダメだな、と。倒産しないためにはどうしたらいいか。結局、赤字にしなければいいんだと」
それから21年間、一度も赤字を出すことなく会社を成長させ、上場を果たします。しかし、上場後に気の緩みから初めての赤字を経験。この失敗をバネに、さらなる成長戦略としてM&Aを始め、現在のホールディングス体制の礎を築きました。
百瀬氏は、事業を成功させる秘訣はシンプルだと語ります。
「基本は、目標を定め、全うする戦略を作ること。そして、うまくいかなかったら常に戦略を見直す。あとは執念です。絶対にやってやるんだという執念。簡単に諦めない。これが原点ですよ」
その言葉は、メダルを獲るオリンピック選手と同じだと百瀬氏は続けます。何が何でもやり抜くという強い気持ちが、会社を成功に導くのです。
明るく元気でポジティブな人がいい
最後に、これからの時代を担う若者たちへメッセージをいただきました。
「どんな若者と一緒に働きたいか」という問いには、「やっぱり明るく元気な人。ポジティブな性格の人がいいですね」と即答。
そして、次世代のリーダーたちに伝えたいこととして、改めて「目標を持つこと」の重要性を説きます。
「人生は一度きりしかない。なんとなく生きるのもいいかもしれないけど、やはり目標を考えて、それに向かって進んでいく。そういう考えを持った人は大歓迎です。目標を掲げて『どうしよう、どうしよう』といつも考えていると、不思議とそれを実現するためのチャンスが目に映るようになるんです。諦めてしまったら、何も見えてこない」
自身の20代を振り返り、「もし新入社員の自分にアドバイスするなら」という問いには、「外国語、英語はできなきゃダメだよね」と笑いつつも、「やはり執念。目標を全うするために簡単に諦めないこと」と、一貫した哲学を語りました。
社会への貢献を胸に、強い執念で会社を成長させてきた百瀬氏の言葉は、変化の激しい現代を生きる私たちにとって、確かな道標となるのではないでしょうか。
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Future Leaders Hub 編集部