「1年後にやりたいか」ではなく「今やりたいか」…自ら人生を切り開く経営者の“先延ばしにしない生き方”
準備が整うのを待つのではなく、自分の直感や素直な気持ちに従い、今すぐ一歩を踏み出すこと。変化の激しいAI時代において、「やりたいこと」を先延ばしにせず、行動に移していくことが重要になる。
日本最大級の女性経営者コミュニティ「エメラルド倶楽部」の代表理事である菅原智美氏は、常に「やりたいことを今すぐやる」姿勢を貫いてきた。
今回は、菅原氏の学生時代や思い描いたアイデアを具現化する柔軟なフットワークとやり切る力の原点を深掘りする。
学生の頃から「やりたいことは今すぐやる」タイプ

── 学生時代はどんなことをされていたんですか。
実は学生時代、バンドをやっていたんですよ。きっかけは、高校1年生の時に初めて生のライブを観に行ったことです。ステージ上で叩く女性ドラマーの姿がすごくかっこよくて、「私もあのステージに立ちたい」と心から感動しました。その場で友人に「2年後、絶対に私がここでライブをやるから」と宣言したんです。そして、私はドラムをやる事を決めました。
とはいえ、当時の私はドラムなんて触ったこともありませんでした。とにかく周りの友達に「何ができる?」と聞いて回って、ボーカル、ギター、キーボードとメンバーを集めていったんです。ただ、ドラムだけができる人がいなくて、結局自分でやることになって。
それを機に音楽教室へ通い始め、家でも雑誌をドラムキットに見立てて猛練習しました。そして、約束通り2年後の高校3年生の時にライブを実現することができたんです。
── アルバイトも掛け持ちされていたそうですね。
学生の頃はマクドナルドやラーメン店でアルバイトをしたり、パーティーコンパニオンのような仕事をしたり、とにかくいろいろな仕事をしていました。「自分で稼いだお金は、自分の好きなように使える」というのが嬉しくて、まずはとにかく稼ぎ、やりたいことにお金を使おうと思っていましたね。
当時から「やりたいことはすぐやる」という気持ちが強かったので、アルバイトで稼いだお金を貯金に回すのではなく、原付バイクを買ったり友達と旅行に行ったりしていました。自分の力で稼いだお金を使って、自分のやりたいことを実現していく感覚がすごく楽しかったんですよ。
── 学生の頃から起業しようと思っていたんですか。
両親が会社を経営していたこともあって、幼少期から「起業」というものが身近だったのかもしれません。私は高校卒業後に上京し、最初に就職したのがホテル事業を運営していた全日空エンタプライズ株式会社でした。そこでホテルマンとしてキャリアをスタートしたのですが、当時はバブルの最盛期で、経営者や芸能人といったお客様がたくさん来られていました。そういう方々を見ているうちに、私は「サービスを提供する側」ではなくて、「お客様として来る側」になりたいと思うようになったんですね。
それが、起業を意識するようになった大きなきっかけでした。
そこから起業した人の本を読み始めて、「経営者には営業力が必要」ということを知りました。だったら、まずは営業を経験しようと思って、当時働いていたホテルの人事に「営業職に異動させてほしい」と直接お願いに行きました。しかし当時は、今ほど男女雇用機会均等法なども整備されていない時代で、「女性だから営業は難しいね」と断られてしまって。
でも、起業するためには営業力を身につけなくてはいけないと考えていたので、ホテルで4年間勤めた後、本気で営業を学ぶためにリクルートへ転職を決意したんです。
起業するために「経営」を学ぶ必要があった

── リクルートの後は、すぐに起業しないでドコモショップで働く道を選んだ理由を教えてください。
リクルートでは、入社して半年ほどでトップクラスの営業成績を上げることができて、収入もかなり増えました。ただ、私にとって「稼ぐこと」は最終的な目標ではなくて、あくまで起業することが目標だったんです。そのため、営業の次は「経営」を学ばないといけないと考えるようになりました。
そんななか、まだ社員が5人ほどしかいない小さな携帯関連の会社から声をかけていただいたんです。周囲からは「せっかくリクルートでうまくいっているのに、なんでそんな会社に行くの?」と言われましたが、私自身は「経営者のそばで経営そのものを学びたい」と思って転職を決心したんですね。
結果的には、この選択が本当に大きかったと思っています。
その後、携帯業界で10年間働くことになるのですが、ちょうどポケベルから携帯電話へと市場が大きく変化していく時期でした。市場そのものが急速に拡大していく中で、会社の売上も倍々に成長していって、ありがたいことに、さまざまな挑戦の機会を与えていただきました。
そうした経験を積み重ねて、入社10年目には、その会社の社長を任せていただくことになったのです。そして、社長を3年間務めた後、「自分で会社をつくろう」と決意し、起業へと踏み切ったのです。
── 携帯業界に長く身を置いていると「起業するよりもこの業界にもう少しとどまろう」という気持ちはなかったんですか。
約13年も携帯業界に携わっていたので、どうしても物事の見方がその業界の中に閉じてしまっていたんですよね。でも、社長という立場になった瞬間に一気に視界が開けて、いろいろな業界の経営者の方とお会いする機会が増えました。
そうやって新しい世界に触れるうちに「もっと世の中を変えるようなことに挑戦したい」という思いが芽生えてきて、自分が本当にやりたいことに取り組もうと決意したんです。
コワーキングの概念がない時代に始めた新事業
── 最初にレンタルオフィスという事業に行き着いた背景をお聞かせください。
「どのような事業で起業しようか」と考え、さまざまな話を聞いていたんですが、ちょうど「漫画喫茶」が急激に流行った時期だったんですね。どんどんお店ができていて、試しに行ってみたらサラリーマンでいっぱいになっていました。
「これの女性版を作りたい」と思うようになったんです。漫画は必要ないので、駅から近くて、仕事をしたり、打ち合わせをしたり、くつろげるような場所を「会員制」で提供できたらいいなと考えました。
私自身、営業時代に「ちょっと一息つける場所がない」と感じていました。「女性が気兼ねなく過ごせる空間があれば立ち寄りたい」という自分が本当にほしかったものを形にしたのが最初の事業の始まりでした。
当時はコワーキングスペースという概念自体がまだなく、女性専用の「ビジネスラウンジ」という名称でスタートしたんですね。
ところが、事業を始めて間もなくリーマンショックが直撃しました。企業の倒産が相次ぎ、オフィス環境の見直しやコストカットが一気に進んだことで、「必要な時だけ外の会議室を借りる文化」が生まれ始めました。
その流れで、うちのラウンジ内に併設していた会議室に、予約が殺到するようになったんですよ。私は大きな潜在ニーズを確信し、ラウンジそのものを広げるよりも、会議室に特化して店舗展開していこうとピボット(方向転換)しました。
その結果、事業は順調に拡大し、しっかりと事業を成長させた上で会社を売却できました。今では年商20億円規模にまでなっているのを見ると、あの時諦めずにピボットして本当によかったなと感じますね。
「準備が整うのを待つ」では遅い

── 今の自分を振り返ってみて「若い頃、こうしておけばよかった」と思うことはありますか。
20代のうちにもっと英語を身につけて、海外留学などを経験しておけばよかったなと思っています。もちろん、これからはAIの普及によって翻訳やコミュニケーションもすごく便利になっていくでしょう。
ただ、実際に海外に身を置いて、ネイティブの方たちと英語でコミュニケーションを取ることで、ものの見方や視野も大きく広がると思うんです。そういう意味では、若いうちにもっと海外に出て、英語を身につけておけばよかったなというのは、今振り返って唯一後悔していることですね。
── 「20代のうちにこれだけはやっておくべき」ことは何ですか?
私からお伝えしたいのは、「やりたいと思ったことは、できるだけ今やったほうがいい」ということです。「お金が貯まったらやろう」とか、「もう少し状況が整ったらやろう」と考えているうちに、時間だけが過ぎてしまうことも少なくありません。
例えば、今ベトナムの市場に可能性を感じたとき、30万円が必要だからと毎月少しずつ貯めて、30万円を貯めてから1年後に行くのと、何とかやりくりして今すぐ行ってみるのとでは、その後の人生で見える景色が全然違うと思うんですよね。
もちろん、無理をする必要はありませんが、本当に今やりたいと思うことなら、多少のリスクを取ってでも、早く動いてみる価値は間違いなくあります。
日本人はどうしても「まず日本でしっかり利益を出して、人を雇って、それから海外へ」と、準備が整ってから動こうとしがちです。でも、そうやっているうちに時間が過ぎて、年齢も重ねて、世の中も変わっていく。
特に今はAIが急速に普及し、世の中の変化がものすごく速い時代です。今見えている世界が、1年後にはまったく違うものになっている可能性もあり得る。だからこそ、「1年後にやりたいか」ではなくて、「今、やりたいと思っているか」という自分の気持ちに素直になるべきだと思うんですよね。
本当にやりたいことがあるなら、あれこれ理由をつけて先延ばしにせず、まずは小さな一歩を踏み出してみる。その決断と行動こそが一番大事なのではないでしょうか。
挑戦する人たちの背中を押す存在になりたい
── 今後、「これはやりたいな」と考えていることはありますか。
今は、投資家になることを一つの目標にしています。
これまでは自分自身が現場に深く入り込んで事業を牽引するスタイルでした。しかし、これからは少しずつ役割を広げ、自ら事業を動かすだけでなく、新しい挑戦をする人の背中を押す側に回りたいと思っています。
まずは現在手がけている事業を確実に成功に導いた上で、投資家として挑戦する人たちに資金を提供すること。それだけでなく、これまで培ってきたノウハウや人脈、経験も掛け合わせながら、一緒に事業を成長させていく。そうやって、自分一人で成功するのではなく、誰かの成功を生み出せる存在に3年以内にはなりたいと考えています。
<構成/古田島大介 撮影/林 紘輝>
あなたにおすすめの記事
株主総会を「会社の魅力をプレゼンする場」に変えたキーコーヒー社長・柴田裕の経営哲学
「恋愛はコスパもタイパも悪い」は本当か?モテコンサルが語る恋愛と仕事の意外な共通点<編集後記>
「儲かりそう」から始めた事業はなぜうまくいかないのか…起業を重ねて見えてきた“成功の法則”
「30年前の日本がそこにある」リクルート出身の女性起業家がベトナムに見出した勝機
若いうちは行動がすべて…「一歩踏み出した経験」こそが“世界”を広げるきっかけになる【編集後記】
「共同創業なんて絶対うまくいかない」と言われ続けたが若手経営者が、資本金10万円から“売上高180億円企業”を作るまで
「仕事が”楽しい”と感じたことは一度もなかった」Luup創業者が明かす“ハードモード”をあえて選ぶワケ
「言い訳ができない環境を作る」組織マネジメントが警鐘…“頑張るリーダー”が陥る落とし穴【編集後記】
気鋭のZ世代経営者が明かす「“SNSネイティブ世代”の正体」
Future Leaders Hub 編集部