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2026.09.04 16:00

何も教わらず初日にトップ営業成績…「オーダーメイドスーツ市場」を切り開いた女性起業家の原点


オーダーメイドスーツブランド「Re.muse」を展開する株式会社muse代表取締役の勝友美氏。

テーラー業界に新たな旋風を巻き起こしている彼女だが、学生時代は遊びに明け暮れながらも将来やりたいことが見つからず、短大では「居場所のなさ」に苦しんだという。

しかし、心の違和感を抱えつつも、自分らしさを探し続け、直感的に飛び込んだアパレルの世界では、初日からトップセールスを達成。「どう生きたいか」がわからなかった自分と向き合い、才能を開花させた起業家・勝友美の原点に迫っていく。

「どう生きたいか」がわからなかった高校時代

── 勝さんにとって、高校時代はどのようなものでしたか。

高校時代はとにかく思いきり遊んでいて、本当に毎日が楽しかったです。

17歳くらいになると進路を考えなければいけない時期があるじゃないですか。結構周りの友達はスムーズに進学や就職を決めていたんですが、私の場合は「自分がどう生きたいのか」を考えた経験があまりなくて。

大学なのか、専門学校なのか、それとも就職するのか。そのような進路に対して「何を基準に決めればいいのか」がわからず、最後まで悩んでいました。

ただ、当時からファッションは大好きでした。制服のスカートも丈違いで何着も持っていたので、その日の気分によって使い分けていたことを覚えています。

当時はちょうどギャル文化がひと段落して、新しいスタイルが生まれてきた過渡期だったんですよ。なので、ルーズソックス全盛のスタイルも、少し長めのスカート丈にハイソックスを合わせるスタイルも好きで、「どっちも楽しみたい」という気持ちが強かったですね。

本当に当時は将来のことよりも「友達と遊ぶ」「カラオケに行く」「プリクラを撮る」といったような高校生らしい青春を謳歌していたと思います。

── 進路について悩んだとのことですが、最終的には短大に進学されました。

「選ばざるを得なかった」という感覚に近いですね。

就職は本当に何かを決めないといけない気がしていたものの、自分の気持ちではどうしても決めきれなくて。まずは時間をつくるためにいろいろな学校を見にいきました。

その中で「ここだったら行ってもいいかな」と感じた学校があって。でも、4年は無理だなと思って短大に行くことにしました。

ただ、実際に行ってみたら、全然楽しくなくて……結果として、留年することになってしまいました……。

違和感を抱え続けた時間が本当に大切だった

── 短大を「辞める」という選択肢はなかったのでしょうか?

もし短大を途中で辞めてしまったら、「始めたことを最後までやり切れなかった自分」という感覚がその後の人生にもずっと残る気がしたんです。それがどうしても嫌でした。

また、学費を負担してくれた親への思いもありましたし、2年間を無駄にしたくないという気持ちもありました。

でも実際には、最後の1年は友達もほとんどいなくなっていて。毎日授業には出るものの、新しく誰かと友人になるわけでもなく、ただ時間だけが過ぎていくような日々でした。当時はとにかく目の前の時間を潰すような生き方をしていたんですよ。

夏休みの1か月間をずっと家の中で過ごしたり、恋人の家にこもったり、クラブで夜通し遊んだり……。そうした刹那的な時間の使い方をしていたわけですが、心の底では自分に対する憤りを感じていたというか。「なぜ自分は周りの人のように生きられないんだろう」という葛藤を抱えていました。

拗ねているとか、親に反抗するとかいうよりも「居場所がない」というか。学校へ行っても、別にそこが守りたい場所ではないし、そこにいる友達ともベストマッチしているわけではない。「自分はどこにいたらいいんだろう」という気持ちを持ったまま、なんとなく短大に通っていたのを覚えています。

── 劣等感に苦しんだ経験から、どのような学びや気づきを得られましたか。

「今をやり過ごす」のであれば、周りに合わせて「合っているふり」をしたらいいと思うんです。でも、それは結局長続きしないんですよ。

当時は夢中になれるものがないから、その場しのぎで時間を潰して遊んだり、クラブに行ったり、彼氏と過ごしたりするだけでした。ただ、やっぱり「違和感」を抱え続けていた時間が本当に大切だったと思っています。

「なぜしっくりこないのか」ともがいたからこそ、今があるというか。摩擦が起きないと、自分の感情と現実のズレに気づけないじゃないですか。

現実に摩擦がないと「うまくいっていない」と認めるか、うまくいっていないのに「うまくいっているふり」をするかのどちらかしか選択肢がない。実際に起業する28歳まで、ずっと「勝友美」という自分らしさを探し続けていましたね。

前向きになれないまま迎えた就職活動

── もし当時に戻れるとしたら、どんな選択肢を歩みますか?

当時の自分も先が見えない中ではありながら「自分は幸せになっていくはずだ」というのはどこかで信じていたと思います。

もちろん、憤り自体はしんどいですが、「諦めたくない」という気持ちがある限りは大丈夫だと、自分に言い聞かせていました。

自分のことを諦めてしまった瞬間に人生が終わってしまうので、今の現実がどうであれ、自分のことを「信じられるか」が大事なんですね。

── 短大卒業後、最初にアパレル業界へ就職されたのは、やはりファッションへの興味があったからなのでしょうか?

もともと服やファッションが好きだった一方で、就職活動をすること自体には前向きになれなかったんですが、一度だけ大きいアパレル会社の合同面接会に潜り込んだんですよ。

そこで集団面接を受けている時に、その場を見ていた別の企業の専務の方が関心を持ってくださり、後日「一度話をしたい」という連絡が入ったんです。実際に梅田でお会いして2時間ほどお話をさせていただき、その場で「採用する」と言っていただいたのが最初に入社したアパレルの会社でした。

特にその会社に入りたいとか、やりたいことが明確にあったわけではなかったんですが、「アパレルの販売員」というのは自分の中でまったくズレていないと思っていました。また、「あまり気が進まない就職活動を続けなくてよくなった」という意味でも、自分にとってはいい選択肢だったなと感じています。

人生が輝き始めたアパレル店員としてのスタート

── 実際に店頭に立つと、いきなりトップセールスになったんですよね。

本当にありがたいことに、人生が急に輝き始めたように感じるくらい、すごい売れましたね。

先輩の接客やトークを見ていたわけではなく、朝から晩までひたすらお客様と会話を交わし、接客を続けていただけなのですが、初日でトップの営業成績を達成できました。私の場合、お客様との距離を縮めるスピードが比較的速かったのだと思います。

接客というより、最初から友達と話すような感覚で会話に入っていましたね。お客様が商品を手に取っていたら、「それ、すごくかわいいですよね」と自然に声をかけたりと、まずは「人として関係をつくる」ことを大切にしていました。

さらに意識していたのは「お客様にとって都合のいい存在になること」でした。

お客様が何を見ているのか、何に興味を持っているのかを観察しながら、先回りして似合いそうな服を用意しておく。そうした小さな気配りを重ねていくことで、「話しかけやすい人」という存在になっていくんです。

一方で、初日に感覚だけで売れてしまった後に、「これから何を教えてもらったらいいんだろう?」と素直に感じたんですね。最初の頃はテクニックもなく売れていたわけですが、そこからセット販売の仕方など、さまざまなことを教えていただき、スキルを磨いていったんです。

── 知らなくても売れるのに、テクニックを知ったらすごいわけですよね。

ただ、やり方を教えてもらえばもらうほど、逆に考えてしまって行動が止まることもあるに気づかされましたね。以前は無鉄砲に話しかけられていたのに「最初の一言が大事」と教わったら、かえって「どう入るのが正解だろう」と考えすぎて、うまく喋り出せないこともありました。

また、セット販売で「畳み掛けたほうがいいよ」と言われると、それまで自然な流れでできていた接客なのに「企み」を持って動くことになって、それが相手にも伝わってしまうのではという気がしたんです。

一方で、もし新卒で大きい会社に就職をしていたら、もっと細かく「型」にはめられていたかもしれません。「まずはこう声をかけて」と接客の基本やノウハウを体系的に教わると思うんですけど、私が入った環境はまったく違っていて、初日から現場に立たされるような状況でした。

本当に何も教わっていない状態からスタートしたので、とにかく自分で考えながら動くしかありませんでした。でも、結果的にはその環境が自分らしくいられる居心地のよさにもつながっていて。もし型にはめられていたら、私のパワーは絶対に発揮できていなかったと思うんですよ。

自分なりの工夫を凝らして接客する中で、選んだ服がお客様に好評だったり、「その着こなし素敵ですね」と褒められたり。そうやって動いてきたなかで、少しずつ数字や成果として実を結んでいきました。

そこから「接客ってこんなに面白いんだ」と感じるようになったんです。

売り上げを「支え合う」関係ができていた

アパレル企業に就職して間もない頃の勝さん

── 勝さんは他の人に比べるとすごく売れるわけじゃないですか。アパレル業界には「妬み」のようなものはないんですか?

本当にありがたいことに、人にも環境にも恵まれていたと思います。当時は店長と二人三脚のような関係で仕事をしていたのですが、今振り返ると、店長は私の活かし方がとても上手だったんですよね。店長はプレイヤーとして動きつつ、店舗運営やマネジメントの役割も担わなければならない立場です。

そのため、自分がトップセールスであり続けるよりも、副店長がお店の中でトップセールスでいてほしいんですよ。

普通は売り上げを競い合うわけですが、私が働いていたお店ではまったくいがみ合ってはいなかったですね。辞める時も、店長から「本当にお前がいなかったら、このお店は立ち上がっていなかったかもしれない」という手紙をもらうほど、お互いに支え合える関係でしたね。

また、今は変わっているかもしれませんが、当時のアパレル業界では「最初に声をかけた販売員の売上になる」というルールが一般的でした。来店するお客様の年齢層や雰囲気などを見ながら自分が声をかけたほうがいいのかを判断する。

その目利きも販売員としての大切なスキルでした。だからこそ、どんな姿勢で仕事に向き合うかには、その人の本質が表れるんです。

<構成/古田島大介 撮影/星 亘>


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