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2026.10.16 16:00

「今振り返ると、なんちゃって取締役でした」25歳で抜擢されるも挫折を経験…降格を経て気づいた“マネジメントの本質”


アパレル業界から一転、未経験でベンチャー企業へ飛び込み、マテリアルグループのトップへと上り詰めた青﨑曹氏。しかし、「時間資本」を投じて実績を積み重ね、25歳で取締役に就任するも、マネジメントの壁にぶつかり挫折を経験した。

そうした逆境を乗り越え、自らの人生にレバレッジをかけて成長し続けるための思考法とは? 今回は青﨑氏の学生時代や、キャリアの原点を紐解いていく。

学生時代に行ったパリコレで受けた衝撃

── 青﨑さんはどのような学生時代を過ごしていましたか。

当時は、そんなに社会課題を強く意識して「世の中を変えたい」と考えていたわけではありませんでした。どちらかというと、好奇心旺盛でミーハーなタイプでしたね。特に洋服が好きで、高校生の頃から原宿のキャットストリートにあるアパレルショップでアルバイトをしていました。

そのなかで、ストリートスナップに声をかけてもらうことが、本当に嬉しかったのを覚えています。スナップに選ばれるかどうかは、その日の服装や雰囲気が雑誌側の求めるイメージと合致するかどうかで決まります。当時、原宿でアルバイトをしていて毎日のように街を歩いていたため、タイミングと服装さえ合えば、運よく撮影していただける機会があったんですよ。

そういう意味では、目立ちたがり屋な一面もあったなと思います。

── ファッション好きが高じて、パリコレにも行ったそうですね。

そうなんです。学生時代はアルバイトでお金を貯めて、パリコレを見にいきました。その頃は「将来は必ずファッション業界で働きたい」と思っていて、“自分の人生をファッションに捧げたい”と本気で考えるほどだったんですよ。

そのためにも、「学生時代にパリコレを実際に見た」という経験は、きっと大きな財産になると思って、思い切って足を運びました。

実際に現地で見た時は、本当に衝撃でしたね。それまで写真や映像でしか見たことがなかったものが、目の前でリアルに展開されているのはもちろん、単に服を見せる場ではなかったんです。

音楽や香り、照明、会場の選び方、モデルの歩き方まで、その空間全体を使って、デザイナーがそのシーズンに表現したい世界観を作り上げている。その光景を間近で見たときは、本当に鳥肌が立つほど感動しました。

「顧客」と「ロイヤリティ」の本質

学生時代、パリで受けた衝撃が今でも強く心に残っていると明かす青崎氏

── 学生時代、ファッション以外に打ち込んだことは何かありますか?

高校生まではテニスをやっていました。当時は『テニスの王子様』がすごくはやっていた時期で、部員が約100人もいる大所帯だったんですよ。その中で部長として、チームの強化に取り組んだ経験は、今思い返しても非常にエキサイティングでした。

一方で、大学進学を機にスポーツからは完全に離れ、ファッションに集中しました。授業がない時間はほとんどアパレルショップで働いているような生活を送っていましたね。

── 学生時代に、「これはやってよかったな」と思うことは?

やはり販売の仕事ですね。初対面のお客様とコミュニケーションを取るのは緊張しますが「どうしたら相手の心のバリアを取り除いて、自然に会話へつなげられるか」という意識を持ち続けたことで、自然と相手の警戒心を和らげる力が身についていきました。

もちろんお客様の中には「できれば店員からは話しかけてほしくない」と感じる方もいます。そういうのも、接客を続けているうちに、少しずつ相手の動きや仕草から、「この方は話しかけてほしいのか、そっとしておいてほしいのか」を察する感覚が養われていきましたね。

実際のテクニックの部分でいうと、「いらっしゃいませ」と声をかけるのと、「こんにちは」と声をかけるのでは、相手への受け取られ方が全然違うんですよ。前者は自然に受け流すことができますが、後者は挨拶を返さなくてはならない感覚がありますよね。かける言葉の違いも含めて、相手にどう受け取ってもらえるかを考えていました。

相手のタイプや状況をなんとなく頭の中でパターン化して、コミュニケーションの取り方を変えていく。今振り返ってみると、当時から「相手との距離感を保ちながら関係を築くための創意工夫」を重ねていたように思います。

── 新卒では外資系のファッション企業へ入社したとお聞きしています。

新卒では、アメリカ発のラグジュアリーブランドを展開するCoach Japanに入社しました。そこでは、「お客様とどのように良質な関係を築いていくか」という点を重視した研修が充実しており、接客の基本から多くのことを学びました。

アルバイト時代の販売とは異なり、ブランドの歴史やシーズン毎にどう商品を展開し、在庫を回していくかというビジネス面についても理解する必要がありました。また、ラグジュアリーブランドには、お客様に長く愛用していただくための「ロイヤリティ」という考え方があります。お客様に服を買ってもらうというよりも、購入後のお直しなどのアフターフォローも含めて長くお付き合いしていく。

そこで初めて「顧客」という考え方を具体的にイメージできるようになったんです。学生時代は、原宿のキャットストリートにある店舗で働いていたので、地方から来られた若いお客様や、友人同士で来店される方が多かったんですね。

しかし、私が新卒で配属されたのは銀座の店舗でした。そこでは、長年通い続けてくださっているお客様や、先輩スタッフが長い時間をかけて関係を築いてきたお客様を目にしました。その姿を見て初めて「顧客」とは単に商品を購入してくださる方ではなく、ブランドやスタッフと継続的な関係を築いてくださる存在なのだと実感しました。

「時間資本」を使い、できることを増やしていく

── そんな大好きなファッション業界で仕事をしていたわけですが、マテリアルに転職したのはどんな経緯だったんですか?

大好きな洋服をたくさん買いたいという気持ちがあったのですが、そのためには、まず自分自身がしっかり稼げるようにならなければいけないと思っていました。

新卒で入社した会社は安定した恵まれた環境でしたが、そこに留まることが自分のキャリアに大きなレバレッジをかけられるかというと、必ずしもそうではないと感じていたんですね。

そう考えたときに、アパレル販売員からのスタートであっても、あえて変化の激しいベンチャー企業に飛び込むことが、自分にとって一番レバレッジの効く選択肢なのではと思い、マテリアルへの転職を決意しました。

── 25歳で「経営をやってみないか」と創業者から言われたとのことですが、そこまで急成長した秘訣は何だとお考えですか。

当時は今のような研修プログラムもほとんどなくて、パソコンもタイピング練習のソフトを使って、ひたすらキーボードを叩くところから始めました。PowerPointも使ったことがなかったので、1つの資料を4時間、5時間かけて作っていたと思います。

本当に経験もスキルもなかった分、とにかく「時間資本」を使って、一つひとつできることを増やしていきましたね。

そんななか、マテリアルは年齢や経験に関係なく、お客様に最も真剣に向き合うスタッフにチャンスが回ってくる会社だったんです。だからこそ、未経験の自分にもたくさんの機会を与えていただきましたし、お客様にも本当にかわいがっていただきました。

目の前の仕事に向き合い、お客様との信頼関係を積み重ねていくことで、「またお願いするよ」と言っていただける機会が少しずつ増えていきました。

特にマーケティングやPR業界では、「青﨑君にお願いしたい」と指名で仕事をいただくようになると、ものすごくビジネスが伸びやすくなるんですよ。そういう成功体験を増やしていった結果、ありがたいことに大きな期待を寄せていただけるようになったと感じています。

挫折を経験したからこそわかる「当事者の痛み」

── 本当は現場のほうがよかったという思いはなかったんですか?

当時はプレイングマネージャーだったため、今振り返ると「なんちゃって取締役」だったなと思います。本格的に経営に向き合うようになったのは、社長に就任してからですね。

25歳で取締役に就任したときには、大きな失敗も経験しました。組織を混乱させてしまったり、クライアントワークの品質を下げてしまったりと、さまざまな問題を引き起こしてしまったのです。

それまではプレイヤーとして成果を出したことを評価されたのですが、役割が変われば、求められる仕事も変わります。「名選手、名監督にあらず」という言葉がありますが、まさにその通りで、自分が頑張って成果を出すのではなく、自分が直接動かなくても成果が出るチームをつくらなければいけない。

ところが、当時の私はマネジメントのセンスもなく、「自分ができることは、当然のように他のメンバーもできる」と無意識に思い込んでしまっていました。

自分自身が一生懸命働いてきたからこそ、「同じように頑張ることが当然だ」と考えてしまっていたんですよね。創業者から教わった「愛と思いやりと正義と誠実」という4つの言葉を大切にしているつもりでしたが、組織の内側に対しては全く実践できていなかったのだと思います。

そして、最終的には一度、降格も経験したんですよ。そこで初めて、「チームをつくるというのはどういうことなのか」を真正面から考えるようになりました。

── 降格を言い渡され、平社員に戻った時は辞めようと思わなかったんですか?

正直、会社を辞めたいという気持ちはありました。「もう二度と取締役なんてやるものか」と思っていましたね(笑)。

当時を振り返ると、20代で取締役になり、年上の部下も増える中で、少しずつ傲慢になっていた部分があったのだと思います。ですが、実力が伴わないまま与えられた「肩書き」を失った瞬間、手元に残ったのは「何者でもない自分」とプライドだけでした。その現実と向き合うのは、自分にとって非常につらい経験だったのを覚えています。

しかし、そんな絶望の中にいた時でも、変わらず周りに集まってきてくれた仲間たちの存在が自分を変えてくれました。彼らの姿を見て、「自分を信じてついてきてくれるメンバーのために、自分がもっと力をつけなければ」と強く思うようになったんです。そこから互いに切磋琢磨し、引き上げ合う関係性を築けたことが、チームとしての大きな成長につながりました。

今では、あの挫折があって本当によかったと思っています。現在、人事評価や研修体系を設計する際も「あの時の自分だったら、どんな支援が必要だっただろう」と当事者の痛みに寄り添って考えられるのは、間違いなくあの経験があったからこそですね。

<構成/古田島大介 撮影/林 紘輝>


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